社長の月刊ブログ

東宝ホーム社長 渡部 通です。
毎月2回のペースで更新しますので、ぜひ、お読み下さい。

平成24年1月14日  昔のこと、幼馴染み

久しぶりに正月を故郷で迎えました。
兄の家に泊まり、帰省中は毎日道後温泉に行きました。
松山市の道後が私の生まれ故郷です。
私の子供の頃の道後には自宅にお風呂のあるところはほとんどなく、どこの家庭も
道後温泉を利用していました。
ですから道後に暮らす人は温泉で出合うので、名前は分からなくてもどの人も顔
なじみという環境です。
温泉では裸ですから見栄や体裁はなく、ありのままの本音の会話になります。
松山の人間はオープンで無防備的な所があるのは、この道後温泉の開放感が
影響している気がしています。
喧嘩してもお風呂で一緒になるのですから、いがみ合うほどの事はなく、どこかに
協調性をもっていますし、全般的にざっくばらんな人が多いように感じます。

小学生の頃は家族全員で道後温泉に行き、帰りは父親の話を聞いたり、星座を
探したりしながら、田んぼの道を帰宅しました。当時星が美しく、冬のオリオン座は
すごく目につきました。
家族6人がいつも一緒だったような記憶があります。
中学生になると家族と風呂に行かず、隣に住んでいた『Kちゃん』という私より1学
年下の幼馴染みと毎日連れ立って温泉に行きました。
高校は違っていたので、高校からは一緒に行く機会がありませんでした。
今回の帰省ではその幼馴染みと一緒に風呂に行くのが大きな目的でした。
電話すると、二つ返事でOK、彼も私と同じ気持ちだったと思います。
道後の温泉の浴槽や洗い場は御影石で出来ており、いつも温泉が溢れ流れて
ていますから、その石のぬくもりで身体の芯から温まります。
浴槽の縁石を枕にして仰向けに寝転び、昔の話、今の話・・・1時間半。
中学生の時もこのような状態でした。
子供にしては超長風呂、なんの話をしていたのか、たぶんお互いにあこがれの
の女性の話をしていたのではないかと思います。
恋に恋する多感な年代でしたから。

故郷を離れて40年余り、のんびりとした故郷の風土のまどろしさと非進歩性に
嫌気がさしていましたが、今はよさを感じれるようになりました。

道後温泉に正岡子規の一句がありました。

   10年の汗を 
    道後の温泉(ゆ)で
     洗え

この句を読んだ子規の気持ちが分かった気がいたしました。

平成23年12月11日  2011年のこと

あっという間に2011年も残り20日ほどになってしまいました。
3月11日の東北大震災、大津波、原子力発電事故、放射能、避難、除染、瓦礫除去・・・
進行中です。
タイの大洪水、ギリシアに端を発するヨーロッパの財政破綻、円高・・・
進行中です。
国内政治の不手際、財政健全化・・・どうなるんでしょう、進行中です。

どんなことが起きても目標を見つづけ、現状で出来る努力を惜しまない。
『何事も受けて立つ身の不動心』
人生も仕事も流動の中で考え、決断、行動する。
このような感覚が大事であるということを再認識した一年でした。

ショックだったことは自分に近い二人の方が亡くなったことでした。
一人は学生時代の部活動の仲間。
昨年暮れ、茨木県の水戸からわざわざ我が家を訪れ、B級グルメの居酒屋で昔を語り、
その時に病状を打ち明けられ、その翌月に昔の仲間が松山に集合し、酒宴を開き、まだ
まだ元気だった彼を心の中で激励し(男は口では激励してもらいたくない動物なので)、
再起を願った友人が他界したこと。
奥さんが『主人が後のことを書いておいてくれていましたので助かりました。』と気丈に
話してくれたのに、さらに悲しみと寂しさを覚えました。
一人は元の上司。
厳しく、辛口でしたが、容量があり、公正で、温かかった人でした。
退職しても時々お宅にお邪魔し、話しました。
自分のご病気のことなど、一口も口に出さず、ただ足腰が弱くなり、悪くなったという
そぶりだけ、それが身体の内部疾患からきているなど言ってくれませんでした。
奥さんが『後のことを主人が手紙に書いていてくれましたので、助かりました。』
二人とも同じことを考え、後に残る家族のことを心配し、激励し、旅立ったのだと思います。

2012年もいろいろなことがあり、起こると思います。
動じることなく、家族のため、社員のために踏ん張っていこうと決意しております。
年末ごろにもう一本ブログをアップするかもしれませんが、忘れていたらこれが今年度
最後となります。

どうぞ良いお年をお迎え下さい。

平成23年11月28日  展示場建設と打合せギャラリーの新設

忙しさにかまけてブログアップが遅くなりました。

10月に小倉駅北口にある、RKB総合住宅展示場と八幡西区ひびきの総合住宅展示場
にモデルハウスを出展いたしました。
両方ともすばらしい出来栄えです。
基本設計は私が信頼している当社のチーフデザイナーにしてもらいました。
今までは彼に全て任していたのですが、今回は詳細設計、デザイン、
コーディネーションを若手に任せました。
設計者とコーディネーターがあれこれ悩みながら造り上げてくれました。
私は経験でしか人の成長はないと思っています。
机上で学ぶことも多いですが、やっぱり現場で学んだことは忘れないし、
そこでの失敗は将来の成功に繋がるはずです。

住宅は、外観デザイン、内部意匠、色合い、小物・・・人によっていろいろ
好みが違っています。
しかし、どのタイプの住宅でも上品さや品格が必要であると思っています。
モダンな住宅にも、クラシックな住宅にもそれぞれの分野での品格が必要と
思っています。品格というと重たいイメージですが、ポップで軽快な品格も
ありますし、超お洒落感の住宅にも品格があると思っています。
それを上手く表現するのがプロで、当社の設計マン、コーディネーターがその技術や心を
会得しつつあるように感じました。
非常に心強く感じた 両展示場建設でした。
お時間がありましたら、是非とも小倉北口RKBと八幡西区ひびきの
両展示場にお越し下さい。

11月には本社事務所の打合せ室と福岡の打合せ室を新設しました。
これもまたすばらしい出来栄えで、店舗設計や店舗デザインも一流に
なったと喜んでいます。
福岡のギャラリーは大博通り沿いにあります。博多駅から海方向に向かう右側です。
徒歩10分以内の距離ですし、ビルの一階ですので、立ち寄りやすいと思います。
コーヒーなどの接客もできるようにしていますのでお気軽にお越し下さい。

設計陣、コーディネーター陣がワンステップ上がった手ごたえを感じた展示場とギャラリー
建設でした。

平成23年10月28日  言葉ひとつで状況が変わるかも。

結婚して38年になります。
波風立たず平穏な家庭生活だったかと言われれば、『いやぁ~人生いろいろです
わぁ~。』と答えると思います。
しかし、今まで一緒ですから、お互いに尊敬し合い、大切に思い、存在を認め合っ
ているはずです。

結婚の馴れ初めについて書いてみたいと思います。
私が大学を卒業して大阪の会社に就職、社会人2年目の秋、11月。
妹と友人の女性二人で関西旅行に来ました。
その頃私は甲子園に建っていた会社の独身寮住いでした。
親元を離れ初めての生活でしたが、ホームシックどころか自由で毎日毎日が新鮮で
楽しくて仕方ありません。
プライベートは神戸方面が多かったので、二人を案内したのも神戸・六甲でした。
その年の正月休み、年末に帰省すると高浜港まで家族と神戸を案内した女性が迎え
に来てくれていました。
彼女が今のカミサンになる人です。
私の家族と彼女と一緒に昔のお正月を楽しみました。
たぶん正月の3日、いよいよ大阪に帰る夜、港まで家族と彼女が見送ってくれました。
乗船口までの数分間、二人が並んで歩きました。
二人が一緒になったのはその数分間だけです。
その時の会話

私: 結婚しよう。
彼女: ハイ。

これで決定です。
プロポーズではなく、私の結婚宣言みたいなものです。
しかも2回会っただけ、二人で一緒になったのは、乗船口までの並行した数分間。
彼女も私のことをあまり分からず、『ハイ』ですから、度胸があります。
私が23歳、彼女22歳。
今思い返しても絶妙のタイミングであったと思っています。

しかし上記の会話が以下のようであったら違った展開になったような気がします。
私: 結婚してくれませんか?
彼女: ・・・・少し考えさしてください。
そして少し時間が経過して、
彼女からこのような返答があったはずです。
彼女: もう少しお付き合いさせてください。それからのお返事でいいですか。

そのうち、距離が災いして縁が遠のき、いい思い出で終わる。The End.
たぶんこの展開だったはずです。

言葉の使い方ひとつで展開が変わるように思えます。
この後住宅の営業として仕事をしてゆくわけですが、この経験がずいぶん役に立って
います。

尚、港で見送ってもらった後、15日(成人の日)に日帰りで帰省しました。
こちらの本心を伝えるためにすぐさま行動を起こすのは今も昔も変わっていないようです。
結婚を3年後の26歳、生活が出来ない気がしたのでとりあえず3年後に設定。
結局途中転職するので生活が安定しないまま結婚するのですが・・・。
とにかく3年後の26歳、彼女25歳と目標設定。
大阪と松山、途中転職し、大分と松山という中距離恋愛が始まりました。
その間、おびただしい手紙と電話。
お互いに熱くウキウキした恋愛期間でした。
熱い恋愛でも、生活すると喧嘩もするし、波風も立ち、冒頭のような言葉になります。
しかし、いいカミサンと知り合えてよかったと感謝しています。

平成23年10月13日  疾風に勁草を知る。

先日当社社員の結婚式がありました。
社員の結婚式ですから、社長が主賓の祝辞を述べるのは当然です。
しかし、ここ数年結婚式祝辞がトラウマになっております。
と言いますのも、私が主賓挨拶をすると、結婚をした人が業績不振に陥るのです。
回復まで相当の期間を有します。私の挨拶が原因でないと思いながらも因縁めい
いたように感じてしまいます。

今回の結婚式もこのような思いがあったものですから、専務に私に代わって主賓の
挨拶を頼みました。
しかし、私が出席していないのならまだしも、そこにいて代わりに専務が・・・・と
いうのも結婚する社員とご親族に失礼に当たりますし、今回も私の挨拶になりました。

今までの結婚式の時には、『とにかく褒めないといけない。』
いい所を見つけ、それに期待を上乗せして、間違わないように・・・
歯の浮くような褒め言葉も結婚式ではオーケーと思っていました。
普段は叱ってばっかりの男が褒めるのですから、慣れていません。
そこでしゃべることを書き、それを読み上げるというカンニング・ペーパースタイルで
やってきました。
文章的にはおかしくもなく、その場だけの時間はうまく取り繕うという常識的な及第
点のスピーチだったと思います。
今回からは普段自分の思っていることを飾らずそのまま述べようと思い、カンニング
ペーパーを用意せず、挨拶に立ちました。
当社の社員はまだまだ磨かれていませんが、みんなダイヤモンドの原石だと思って
います。
全員熱い心があり、責任感があり、お客様にも仲間にも温かい、正直で、親切で
愉快な心根の持ち主ばかりです。
今回の結婚者もこのような男です。
ダイヤの原石は人が磨いて輝きを増します。しかし、人間の原石を自分自身で磨かね
ば輝きません。輝く場だけは会社が用意します。輝くのは自分しだいです。
このような話をいたしました。これは自分が普段から思っている通りのことです。
そして、最後に社員に期待していることを述べたのが、今回のブログの題です。
『疾風に勁草を知る。』
勁草とは強い草という意味です。
どの草も普段の微風ですと全部同じように見えます。
台風や強風が吹いた時、有事のときにその草が強かったか、弱かったかが分かる。
有事の際に真価がわかる。そのような強い人間にならなければならない。
普段より精進に努め、自分を磨かなければならない。
このような力強い男を目指してもらいたい。
社員全員がこのような人間になってもらいたい。
この話をいたしました。
普段から自分が思っていたことなのでずいぶん話しやすかったです。
これからは主賓の挨拶のトラウマが解消されそうです。

平成23年9月18日  自転車

8月末より自転車通勤を再開しました。
自宅から会社までは8キロ強の道のりです。
市街地の道は凸凹が多く、それにハンドルをとられ転倒の危険も多いので、できる
だけタイヤ幅の広いマウンティンバイクを利用しています。
自宅には、細身で超軽量の競技用の自転車もありますが、このマウンティンバイクが
一番重宝です。
20数年前に購入したものです。機能的にはどこも悪いところがなく、頑丈さに驚嘆です。

35分ほどひたすらペタルを踏み続けるわけです。
途中紫川の川べりを通り、とてもすがすがしい気持ちも味わえます。まさに今を生きて
いるという実感です。
帰宅時はライトを自転車や身体に点灯させ、安全確認を怠らないように運転してゆき
ます。
ペタルを踏み続けている最中、瞬間の安全に気を配っているせいか、今度の休みに
どこそこに行こうなどというレクリエーション的なことは一切考えていません。
仕事のことや生き方のことなど案外深い部分の思考を巡らしながら目的地目指して
ペダルを踏み続けています。
人間は肉体的疲労が伴う時などは優先順位の高い順の思考するような構造になって
いるのかもしれません。

上り坂を登りきり、風を切って下り坂を下りる。すごく爽快。
しかし、この下り坂は危険がいっぱい。注意、注意!!
仕事も人生も同じなどとついつい思ってしまいます。
ギア比を調節しながら、上り、下りをあやつり、途中下車しないように。
自転車はこぐのを止めたら転倒、いつもいつもこぎ続ける。
小休止するより、ずっとこぎ続ける方が楽。
なにか仕事と似ています。

来年の初夏まで自転車通勤を続けたいと思っています。

平成23年8月20日  首相交代

東日本大震災、福島原発事故以来、私の中に何か割り切れぬものがあり、
モヤモヤ感が漂い、心が晴れませんでした。
言い訳がましくなりますが、私のブログも滞り、たいへん申し訳なく思って
おります。
どんな周辺事情があったにせよ滞ったことをお詫びいたします。
ブログを書く時、何かテーマを思いつき、自分の経験と思考で案外に早く
文をまとめます。文の上手い下手は別にして筆は早い方だと思っていました。
この数ヶ月はテーマがなかなか浮かんできませんでした。
仕事もほぼ予定通りですし、プライベートも充実していますので、自分の身の
回りでの阻害要因はありません。

菅さんが首相になった時、彼の尊敬する人物の一人に『児玉源太郎』がいる
事を知り、私も『児玉源太郎』に私淑していますので、価値観が同じ故に政権
運営に期待しました。
不測の東日本大震災が起こり、非常に厳しい政権運営を余儀なくされました。
この数ヶ月の彼の言動などを新聞紙上で拝見しますと、非常事態での児玉
源太郎の決断や実行力と雲泥の差を感じ、思考が真逆でイライラの連続でした。
最後は退陣の花道などが話題になり、腹立たしくなりました。
退陣するときに、花道になるか泥道になるかなどのことを本人も周囲も考える
ことなど私には理解できません。
客観的に観察して自分が全体に必要なら留まるし、駄目なら引き下がるべきと
思っています。晩節を汚す経営者や政治家が沢山います。最初は謙虚な気持ち
で仕事に当たり、一心不乱に努め、そのうち傲慢になり、客観的な自分を観察
できなくなった結果だと思います。
菅さんが傲慢になったかどうかは分かりませんが、理想と現実の中での優先順位
の立て方が的外れで事業の主たる推進者としては失格と思いました。
今まで日本の首相が短期間で交代するのにも嫌気が差しましたが、今回は早期
交代を願っていました。
今度やっと退陣で、腹の虫が収まりそうです。
日本国首相は、自分の名誉のことよりも国家の事を考え、清濁合わせて飲む容量と
胆力を備えた人物になってもらいたし、その人物に長く首相でいてもらいたいもの
です。
またマスコミも新首相の枝葉末節のことをあれこれ騒いだり、言葉の揚げ足を取る
ような報道は控えてもらいたいものです。マスコミも正義感ぶった市民迎合型は
厳に慎むべきと思っています。
人間にはいい所も悪い所もあります。それが人間なのですから、いい所を大所高所
から判定していけばいいのではないかと思っています。
次の首相にだれがなるか分かりませんが、本人も周囲もその人が真のリーダーに
なるよう努力してもらい、支援していかねばなりません。

平成23年7月7日  夏休み・宿題

今は一番嫌いな季節は夏ですが、子供の頃は一番好きな季節が夏でした。
とにかく休みが一番長い、学校に行かなくていい。
毎日泳げる。
自分に都合のよい条件が整っていました。
7月の初めから8月の終わりまで、近くを流れている石手川の岩堰という場所で
毎日毎日、唇が青くなるまで泳ぎです。
水の中での鬼ごっこ、水泳、魚とり、飛び込み・・・
岩堰は、毎年一名くらいの死者が出ていましたから、すこぶる安全というところで
なかったと思います。今なら遊泳禁止で、事故でも起きるなら学校の指導が悪いと
親が騒ぎまわると思います。
昔は子供の不始末は他に責任転嫁せず、自省したものでした。今は何から何まで
人のせいで・・・・このような風潮もおかしいと思っています。
岩堰での勇気試しは岩壁から飛び込むことと吊橋から飛び降りること・・・これが勇者の
証明でした。
先輩たちが飛び込んだり、飛び降りたりしているのを羨望の目で見ていました。
そのうちに我々にもできるようになり、先輩が後輩を知らず知らずのうちに教えていった
ように思います。

夏休みはこのような遊びに明け暮れましたから、夏休み帳や宿題は休み終了後の9月
1日に切羽詰ってやっていた記憶があります。
このような習慣のため、今でも仕事を段取りよくやらずに直前にバタバタするのかもしれ
ません。

夏休み中のラジオ体操に全部出席した人や立派な工作や観察日記をつけた人などは
私にとっては、学校教育に熱心な家庭のエリートで私には真似のできない存在でした。
こちらはやっと夏休み帳だけの完了です。勉強する姿勢が100点とゼロ点です。

今、我が家の庭に朝顔を植えています。
ネットを張り、生育環境を整え、毎日水やりをして、ツルの伸びるのを楽しみにしています。
毎日毎日ツルが長くなり、ネットに巻きつき上へ上へと伸びていきます。
ネットを越える位に成長しましたので、一番上の生長点を摘み横に伸びるようにしました。
こんな作業をしながら、これを絵に描き夏休みの観察日記として学校に提出すると先生の
受けが良かっただろうなぁ、気付くのが55年ほど遅かったなと反省しきりです。
朝顔の観察を通じて、昔のことを思い出したのでブログに書いてみました。

平成23年6月12日  蝸牛(かたつむり)

全般的に梅雨入りが早い今年の夏です。
北九州も雨が続いています。
子供の頃、わざと雨溜りのところを通り、喜んでいたのを想いだします。

最近の女性の雨靴は雨を楽しむカラフルでファッション性のものがあり、とっても
いいことだと思います。
『うっとうしい雨が続きます。』という手紙の文面でなく、『今日も雨、雨ファッションを
が楽しめて心ウキウキです。』というような文面の手紙をもらったら、思わず笑みが
こぼれて楽しいだろうなと思います。
いろいろな場面も見方しだい、感じ方しだいで楽しくもなり、うっとうしくにもなります。

先日新聞の片隅に小林一茶の俳句が掲載されていました。

   蝸牛 見よ見よおのが 影ぼうし

かたつむりが角を出しながら雨上がりの草の葉の上ゆっくり歩んでいる状況が浮か
びます。その状況をすぐに影ぼうしまで発想を広げる小林一茶の世界観の広さ、頭
の柔らかさ、ユーモアセンス・・・すごいですね。
一茶の観察眼、やさしさ、ユーモア、発想の柔軟さ・・・どこから来るんでしょうか、
どのようにしたら磨けるのでしょう?

この句を見ながら最近、蝸牛(かたつむり)を見ないことに気付きました。
丸い殻を背負い、角を出しながらゆっくり歩む蝸牛をまったく見ないのです。
我が家だけかと思い、社員にもきいてみると、ナメクジはいるが蝸牛は見なくなったと
言っていました。
その代わり、三角形の細長い巻貝を背負い、本体がナメクジみたいな生物がいる。
我が家もその通りでした。生物学的には蝸牛の一種と思われます。
外国から輸入の植物に混じって日本に入り、勢力を伸ばし、日本蝸牛を駆逐したのだと
推測します。
日本の蝸牛もナメクジのような軟体動物の様相があり、好きな生物ではありませんが、
外来種に負けているのであれば彼らを支援しなければいけません。
繁殖を抑えるため、捕獲処分しか方法を思いつきません。
なんとか日本蝸牛の復活を実現したいものです。

平成23年5月8日  ドナルド・キーン名誉教授

東北大震災、大津波、福島原子力発電事故・・・・
本当に気のめいる2ヶ月間です。
日本全体で活性化を図ることが大切と、スポーツ界、芸能界、あらゆる方面の方々が
エールを送り、元気回復に努めています。
しかし、何をするにも心のどこかに引っかかるものがあり、芯から楽しめないのも事実
です。
今は福島原子力発電事故が一日も早く収束の目途がつけばと・・・祈るばかりです。

先月の新聞記事にアメリカの日本文学の研究者である、ドナルド・キーン教授が今年の
秋までに日本に永住することを決意したとの報道がありました。
人間は最後が近くなるにつれ、故郷が恋しくなると考えていました。
帰巣本能に基づく行動をするのが普通だと思っていましたから、88歳の彼が異国で
最後の場面を迎える決断をしたのに新鮮な感動を覚えました。
日本に暮らし、東北のため、日本人のため自分が勇気を与えられる存在になれれば・・・
と言っていました。
お年を召しているからかもしれませんが、その言葉が自然体で、飾り気無く、純粋で
本当に新鮮でした。
日本をこれほど愛してくれていることもうれしく思いました。
年をとってもこのような感情がどうして起きるのか、不思議に思えましたし、自分自身も
彼のような心をいつまでも持ちたいと思いました。
彼には一般的な老後という観念がないのです。
いつまでも探究心、向上心、挑戦心があり、青年のままなのだろうと思います。
いつまでも青春を謳歌し、現役なのです。

私の同期はほとんど定年を迎え、年金生活が多くなっています。
仕事がないから、毎日が日曜日で変化が無く、退屈と言っています。
趣味に生きたり、旅行などを楽しんでいますが、全般的に建設的な日常を送っていない
ようで、面白くないだろうなと思ってしまいます。
これは私の側からみた感覚で、彼らから私を見ると『あいつはいつまでも仕事人間でアホや』
と思っていることでしょう。
何歳になっても、また仕事を辞めた後でもドナルド・キーンさんのような挑戦的な人生を
送りたいと感じた新聞記事でした。